70中年男子が佐賀県全20市町をぶらぶら歩く、連載3回目は、いろいろあった結果、嬉野市の塩田宿を歩きます。
まずはルールの確認。
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- 公共交通機関で現地まで移動
- 歩く距離はだいたい2km
- 来年3月末までに全20市町を散歩する
- 美味しいものをきちんと紹介する
- お酒はほどほどなら大丈夫!
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の4つ。唐突ですが筆者は武雄市在住。今回は隣の市である多久方面に出向く予定。前日に現場までのルートをgoogle map で検索したところ、路線バスをおすすめしてきた。当初はJRを使うつもりだったが、それだと一旦、久保田駅まで向かい、そこから唐津線に乗り換えなければならない。バスなら1本で行ける。バスばんざい!
翌朝早めに出る。google map は自宅から目的地まで道案内してくれるから便利。10分ほど歩いて最寄りのバス停に到着してみると、結構大きな道路工事をしていて片側規制中。バス停には近づけない。仕方がないので交通整理の人に声を掛け、バスがきたら教えてもらえるように頼む。現場から離れたところでドラクエウォークをしながら待つ。ふと気がつくと予定の時間を過ぎている。渋滞かと構えていると、10分以上経つ。交通整理の人に確認してが、お目当の路線バスは通っていない、と教えてくれた。ちょっと心配になり、バス会社に連絡したら、定時運行中、と返事。普通の路線バスですよね? と確認したら、この時間はジャンボタクシーでの運行です、とのこと。それか!! 見逃す訳だ。自分のリサーチ不足を反省。次のバスは2時間後、自宅に戻るのもアレだし、明日出直すのも面倒臭い。駅前まで歩いて、最初に来たバスに飛び乗ろう。
ということで「祐徳神社」行きに乗る。嬉野か鹿島のどこか適当なところで降りよう。バスは武雄市街を抜けて塩田方面へ行く。車窓からは雲仙普賢岳がみえる。これぞ秋晴れという見事な天気だ。塩田宿の手前で車道沿いに瓦屋根が連なる趣深い集落を発見。
一番手前に「書店」の看板がある。「牛間田新道」バス停で降車。さっきの書店まで戻る。ショーウインドーに花が生けてある。店内は教科書や参考書が中心。このあたりの子どもたちのための品揃えだ。数軒隣には酒屋さんが。置いてある日本酒は塩田のお酒「東一」と「東長」のみ。ビールも数本だけという感じ。地元愛が伝わってくる。ちょうどいいサイズの日本酒を1本購入。車道から一本路地に入ると、稲刈りが終わった田んぼが広がる。藁積みにほっこりする。
集落を後にして鹿島方面へ。車道を歩いていたら、かなり三角な住宅があった。
側面全部が急勾配の瓦屋根になっている。しばらく歩いていると横断歩道の脇に手を挙げた人形が。
あれ?山内にもあったよな。胴体の名前は「みずきちゃん」。前回は確か「あっちゃん」だった。名前が違うのか。これは継続調査案件だ。
という感じで数十分歩くと、「塩田宿」に到着。車道の向こう側に
「うどん150円」の看板が! まだ昼には早い。ちょっと散策してからにしよう。案内板でいろいろ確認。
文化財級の建物が並ぶメインストリートに行かず、脇街道から入る。静かな街並みだ。路地に入ると、小さな水路の上を渡した薄い鉄板の橋があった。
生活感が微笑ましい。山下小路を抜けて本通りへ。伝統的建造物群保存地区らしく立派な建物が並んでいる。いきなり気になったのは顔はめ看板。
産業振興や教育などに貢献した塩田の10賢人のイラストが描かれている。唯一具体名がない「塩田の石工」が気になる。
大通りを嬉野方面に歩く。途中、案内板に誘われて脇道に入っていくのが楽しい。井戸の先にあった蔵の前には磁器がきれいに並べられていた。
オブジェのような趣だが、元の用途はなんだろう? 良い佇まいの飲み屋さんも路地にひっそり建っていた。
通りの端まで来てしまった。引き返すのはつまらない。和洋折衷スタイルの消防団倉庫の脇の石段を登り、常在寺へ。
そのまま丘をのぼり、学校の脇の坂ををえんえんと登る。途中、良い感じの擁壁があった。これも石工さんの仕事だろうか。峠を越えて下り坂に、メイン通りに戻る道に合流せず、あえてゲートボール場のわきを再び登る。頂上に行くと、尾根沿いにたくさんの墓がならんでいた。最初の案内板に書いてあった「塩田津の先達の墓地」って、ここのことか。有名無名関係なく「先達」と敬意を払う、塩田の人たちの気持ちが伝わってくる。樹木の陰からは瓦の連なり。その先に有明海がきらめいていた。
本応寺の境内に下り、再び顔はめ看板の前。旧肥前陶土組合検量所を見学。
案内板によると、塩田津では江戸時代から熊本・天草地方の陶石が船で荷揚げされていたという。塩田川上流の水車で陶土に加工され、有田などの陶磁器産地に運ばれていた。隣にある塩田津町並み交流集会所にはかつての塩田津を写した航空写真があった。
川はS字に蛇行しており、鹿島側一帯は「遊水地」と描かれている。そういえば佐賀市の蓮池公園付近にも以前は大曲小曲という湾曲した水路があり、その南側が遊水地となっていた。これは佐賀が誇る江戸時代の治水神様・成富兵庫が、舟の航行に必要な水量を確保するために施した河川改良とされている。そういえば塩田は蓮池藩の飛び地領。「川の湊」という共通項ゆえに、この離れた土地を領有したかどうかは分からないが、佐賀を代表する2つの津(川の湊のこと)が、かつて同じような機能を持っており、どちらも現在、まっすぐな川として改修されているのは興味深い。