2021.02.17 UP

中年男子が佐賀県全20市町をぶらぶら歩く連載の8回目は初の県東部を2町連続して攻めます。まずはみやき町編。ルールは

      • 公共交通機関で現地まで移動
      • 歩く距離はだいたい5km
      • 2021年3月末までに全20市町を散歩する
      • 美味しいものをきちんと紹介する
      • お酒はほどほどなら大丈夫!
      • 基本はぶっつけ本番。面白いものに当たるまで歩くべし
      • 旬の風景を探そう

久留米の所用があったので、帰るついでに県東部の2町を散歩することに。西鉄バスの目達原行に乗り、「千栗八幡宮前」で降りる。千栗八幡宮とは

「鎮西要略」によれば「神亀元年(724年)肥前国養父郡の郡司壬生春成が八幡大神の御神託を蒙(こうむ)って千根(ちこん)の栗が生えている地に創祀した」と伝えられています。

なぜ「千栗」と書いて「ちりく」と読むかというと、壬生春成が千栗山に猟をしに行くと、八幡大菩薩の使いである一羽の白い鳩が飛んできて弓の先に止まりました。その晩、白髪の翁が丸い盆に千個の栗を盛って枕元に授け、「この地に八幡神を祀れ」という夢を見ました。翌日、再び千栗山に猟に行くと、何と逆さに植わった千個の栗から栗の木が一夜のうちに生い茂っていたことから「くり」を逆さにして、「ちりく」というようになったとの言い伝えがあります。
承平年間(931年〜938年)に宇佐八幡宮の別宮になり、以来、五所別宮(大分八幡・千栗八幡・藤崎八幡・新田八幡・鹿児島神宮)の一と称せられ朝廷からも厚く崇敬を受けていました。
慶長14年(1609)には後陽成天皇より「肥前国総廟一宮鎮守千栗八幡大菩薩」の勅頼を賜りました。
中世以降は肥前国一の宮と呼ばれています。
みやき町観光情報「みやきsanpo」より引用

 

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

バス停の裏には川が流れていて、河原に木の鳥居があった。昔は川から参拝する人たちがいたのだろうか。道を渡って石段を見上げる。なかなかの急傾斜だ。わきにあった石碑に注目。

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

「栄光への石段」。1992年、バルセロナオリンピック柔道男子71kg級金メダリスト”平成の三四郎”古賀稔彦さんは、この石段を「わが師」と仰ぎ心身を鍛えたのか。これは心して登らねば。ゆっくり行っても半分を超えたあたりから足がプルプルする。何度も上り下りを繰り返す初老の男性に抜かれつつ、146段の石段を上り終える。

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

境内の展望所からは、筑後平野が見渡せた。久留米からバスで来た道がまっすぐ伸びている。先には高良山が見える。そういえば高良大社も「筑後国一之宮」と称している。肥前と筑後の「一之宮」がこんなに近接しているのは何か理由があるのだろうか? 境内を散策した後、本殿の裏の道から西方面へ歩き出す。

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

清涼感のある竹林を抜けると静かな住宅街に。煉瓦造りの小屋、というには小さすぎるものがあった。いったん通り過ぎたが、気になり確認すると中にはポンプが設置してあった。もっと簡単に覆う方法はいくらでもありそうだが、住んでいる人の景観への意識を感じずにはいられない。

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

道は微妙な高低差をゆるやかに蛇行しながら伸びていく。地形に寄り添う様子から、はるか昔から人々が往来していたものと推察される。こういう道は飽きがこない。どうやら県道22号の1本北側の道を行っているようだ。途中、ブラタモリに出てきそうな暗渠入口を発見。これも煉瓦造り。

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

住宅の庭にある梅も満開。きれいに手入れされているお家が多く歩いていて楽しい。辻には立派な建物が。全面道路のかさ上げっぷりを見るに、随分前からあるようだ。いろんな素材で作られた建物を「混構造」と呼ぶのだが、途中発見した倉庫は土壁、下地の竹、木の柱、トタンそして煉瓦と5つの素材を使っている。それぞれが用いられた時代は異なっている。素材の歴史が分かる壁面だ。

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

古い道の脇には水路があるケースが多く、住宅へのアクセスのため「プライベート橋」がある。この通りには8つあった。だいたいコンクリート製なのだが、あ厚みはバラバラ。結構、薄いものがあったが、これは自動車を使わないからだろう。道端には謎の石が奉られていたり、いろいろと面白い。

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

住宅街からだんだん農村地帯へ。分岐に来たら極力細い道を選ぶ。辻々には印象的な樹木だったり、小屋がある。

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

小さな川に差し掛かったら鳥居があった。気になり土手を進むと「下宮」との扁額だけが置いてあった。どうやら千栗八幡宮の下宮らしい。ここでも川との関係が気になった。気持ち良い川べりでしばし休憩。

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

川を上り対岸へ。西海岸のようなお庭を愉しみながら、川にある堰に行く。小さな枝があった。上流から流されてここに留まっているのか、誰かが置いたのか。誰かが置いたとしたら、きっと困っていた小人を助けるためなのだろう。…ちょっと妄想入ってきだしたので反省。

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

これまた素敵な壁発見。つい小さな道を進んでしまう。表面がぼろぼろの壁は、煉瓦ではなく、モルタルのブロックを積み重ねたもの。しっかり焼き締めた煉瓦と比べて柔らかいため風化しやすい。その肌合いが逆に美しい。ブロックの骨材として製鉄の際に出る屑(鉱滓=こうさい)を使ったものは北部九州で広く使用されていて、県内でも良く見かける。良い壁に誘われて小道を行くが、丘に突き当たり行き止まりに。道を引き返し、先ほどの丘の突端の前に差し掛かると…

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

東尾地蔵菩薩堂があった。境内の縁起によると、ここは「隈の墓」と呼ばれる場所だったとのこと。ひょっとしたら古墳だったのかもしれない。お堂の下にはなぜか「南極の石」が置いてあった。いろいろ気になる場所だ。

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

道なりに歩くと、再び小高い丘があり「龍王神社」があった。この道は山裾を伝っていて、それぞれの「岬」のような場所に神社があるようだ。ちょっと先に行くと天吹酒造があった。手軽に持ち運べそうな「日下無双」の純米スパークリングを購入。宮本武蔵の父親とされる新免無二が足利義昭から賜った称号「日下無双」と杜氏・日下信次さんの名字を掛けているネーミング。蔵の人によれば、辛口とのこと。これに何を合わせようか? 近くにはお店はなさそう。ネットで調べたところ、みやき町で育てられている「神バナナ」商品が、この近くにある町役場で販売されているという。さっそく行ってみる。
「神バナナ」とは、みやき町で栽培されている「皮ごと食べられるバナナ」。今回はジェラートをチョイス。辛口の日本酒に合いそうだ。次はどこで味わうか。アイスとスパークリング日本酒なので、なるべく近くで休憩したい。

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

といいながら、ついつい目についた銅像に引き寄せられてしまう。役場前にあった。「木下十四三」という旧北茂安村長や衆議院議員を歴任した方らしい。「十四三」って何と読むのでしょうか? ちなみに役場内には市村記念体育館を寄贈したことで佐賀県民ならお馴染みのリコー創業者の市村清の銅像があった。
気を取り直して、休憩場所を探しつつ、県道の1本北の道を進む。と、そこに素晴らしい煉瓦建築を発見!

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

何といっても、角のアール部分。最上部の装飾的な煉瓦の並べ方や基礎の石組みも素晴らしい。これまで県内でみた煉瓦造小屋の中で最高峰。壁に映る木の影に物語が始まりそう。もはやロンドンとか、そういう趣だ。興奮して、おもわず玄関で声を掛けるが、残念ながら不在の模様。あわよくばここで煉瓦壁を愛でながら、お酒を味わいたかったが仕方ない。後ろ髪を引かれながら先へ行く。

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

しばらく行くと川が流れていた。きれいに芝刈りされた土手があった。ぽかぽか陽気だし、ここでいいんじゃない。座って日本酒を出す。スパークリングだけに泡が吹き出すが、これも愉しみのひとつ。まずは一口。泡が細かくなめらかな口当たり。お米の味わいをしっかり感じつつ後に残らない。続いて「みやき神バナナジェラート」。まだ溶けてなかった。国産バナナのほのかな甘さが日下無双と見事にマリアージュ。コース料理のデザートのような味わい。ほろ酔い気分で脊振山を眺めたり、川の流れをぼんやり見つめたり、と極上の時間を楽しむ。

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

土手を下りて、農道を再び西へ。煉瓦造りの廃墟の脇を歩く。なだらかな上り。未舗装の道は足に優しい。すると神社の裏手に出た。境内に行ってみると本殿のわきに赤い小さな建物があった。宝物殿と書かれている。中に何が入っているのか気になる。自然石が祀らえていた。鳥居の扁額には「物部宮」と書かれている。道は県道と突き当たる。正面には「弓」とだけ書かれた看板。武具店なのかな、とおもったらガラス戸にヘアーサロンと表記してあった。「弓」は名字なのだろう。その後、歩いていると「弓」姓の店舗が複数あることが分かった。ネットで調べたところ「弓」姓は全国に約450人しかいないようで、そのうち140人がみやき町在住だという。

 

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

 

少し県道を歩いた後、再び1本北の道へ。地形に寄り添うようにカーブした上り道。苔むした車止めが羅漢さんに見えてくる。擁壁を削ってつくられた階段。すごく急だ。峠を越えて下り道。鮮やかな青い小屋がなぜかマッチしている。下りきったところには池があり、真ん中にお地蔵さんが祀られていた。

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

池の先の細い道を上ると「中津隈宝満宮」があった。メタリックな扁額がインパクト大!! 境内に入るとシルバーの狛犬!! 対となるもう1体はゴールド!!! もはやガンプラみたいだ。本殿の彩色も鮮やか。神社といえば白木というイメージがあるが、日光東照宮など絢爛豪華なものもある。とはいえメタリック神社は初めて見た。
社殿の奥には前方後円墳があった。

前方部は中津隈宝満神社本殿により削平を受けており、今は高さ約7m、直径約36mの後円部のみが現存しています。表層から確認されている埴輪や須恵器などから、5世紀中頃から後半に築かれたものと推察され、この地方の豪族の墳墓と考えられています。この場所から西の方角に2キロ行った上峰町には応神天皇の皇曾孫、都紀女加王(つきめかおう)王墓があり、関係があるのではないかと言われています。
また、拝殿の東南側には石室が露出している横穴式古墳があり、こちらは5世紀後半から6世紀にかけてのものと推測されています。
みやき町観光情報「みやきsanpo」より引用

境内にぽつんと置かれた石組みもなんだか古墳の一部に思えてくる。

先ほどの「東尾地蔵菩薩=隈の墓」といい、平野に向かって岬状に突き出した部分に古墳や神社が点在している。思想家・中沢新一が「アースダイバー」で描いたように、地形とそこに与えられる役割は古代から現在まで変わらない。平地から上がった岬状の丘のような、見晴らしの良い場所は、古来、神社や墓地などが建てられてきた。そういう視点で街歩きをすると、いろいろな発見がある。

 

View this post on Instagram

A post shared by 佐賀をぶらぶら中 (@burabura_saga) on

 

 

県道に出て、南側の集落を行く。煉瓦をたくさん使っている。手作りっぽいアーチが楽しい。農道に出るとみやき町はここまで。煉瓦と神社と古墳。昔の道に誘われるまま歩いたら歴史の断片を感じた全12234歩、 約9kmの旅だった。そのまま上峰町編へ突入。

 

コラム一覧に戻る